加古川の舟運を代替する目的で設立された播州鉄道が、舟運の物資集散地であった高砂と流域各地を結ぶ路線として開通させ、その後も貨物輸送を中心とした輸送体系が続いた。戦後は沿線に国鉄
高砂工場も置かれ、貨物列車に加えて工場入出場のための回送列車も設定されており、高砂市中心部に乗り入れていたものの旅客列車は運転本数が少なかった(最末期は日中2時間毎)。そのため旅客需要は神戸や姫路方面への直通電車を頻繁に運転する
山陽電気鉄道や、加古川へ頻繁運転する(当時日中30分毎・尾上駅南方の大崎停留所 - 加古川駅間は15分毎)
神姫バスの利用がほとんどで、高砂線の利用者は定期運賃の安さから高校生が中心となっていた。