阪神地方は、京浜地方とならんで日本の二大メトロポリタン・エリアであるが、
大阪は
江戸時代初期から「
天下の台所」として日本列島の経済的中心であり、日本最大の経済都市であった。
神戸は幕末の開港以後に急速に発展し東洋最大の港湾都市となる。そしてこの二大都市の間には、現在の
池田、
尼崎、
川西、
伊丹、
宝塚、
西宮、
芦屋の中都市がそれぞれ独自の地理的、産業的背景を基礎にして発展し、全体として「
阪神工業地帯」を形成してきた。
明治維新後に政府の
殖産興業政策を背景にして、いち早く
三井、
三菱、
住友、
安田の
四大財閥が全国的な規模を持つ
財閥として形成され、さらに
古河、
藤田、
久原などの鉱山業を基盤とする財閥、
大倉、
鈴木、
神戸川崎、
東京川崎、
山口、
野村などが中規模の財閥として発展していった。さらに全国各地でローカルビジネスを基盤として、多数の地方資産家が形成され、特に大正3年に勃発した第一次世界大戦による異常な戦時ブームによって、地方における資産形成は強く促進され、大正5年における全国の有力資産家(資産50万円以上)は、東京595人、大阪382人、その他の地方に1224人、合計2201人に達した。しかしこれらの資産家のすべてが財閥になったわけではない。大部分はその資産を土地投資または銀行預金として保全することに熱心で、日本の工業化過程において企業者活動を展開せずに終わった場合が多かった。その中で自分が主として依拠してきた産業から得た利潤を、時代の要求する新産業へ多角的に投資した企業家が、景気変動に対して柔軟に対処すると同時に、企業集団を全体として発展させるための司令部として
持株会社を設立して、財閥を形成し始めた。また政府は大正6年と9年の2度にわたって所得税制を改革し、個人の配当所得はそれまで非課税であったのが、この時期から配当の60%に総合課税がなされ、累進税率が強化されたのに対して、法人の配当所得には100分の5の比例税が課されることになり、法人所得が相対的に優遇されることになったのも、持株会社の設立を促進する背景になった。こうした情勢の中で、
大正時代から昭和初期にかけて、全国の多くの資産家が持株会社を設立して財閥を形成してゆくが、阪神地方の持株会社の設立状況は、大阪が江戸時代から商業、金融の中心であったため商業を中心にした財閥(
伊藤忠、
岩井)金融を中心にした財閥(広岡、
山口、
鴻池、
野村、
住友)が多く、神戸は港都であるため海事財閥(
岡崎、
川崎、
鈴木)が多く、また
御影、
西宮は酒造地であるため酒造財閥(
八馬、
嘉納、
辰馬)が多いのが特徴である。
これらの阪神財閥は、
大阪、
神戸、
西宮に本社をおいて事業のネットワークを拡げていったが、生活面でも共通性を持っていた。工業化が発展し始めた明治の終わりごろから、彼らは騒音と空気汚染に包まれ始めた大阪や神戸から、住居を阪神間の
六甲南麓の、温暖で水と空気の清い、
住吉をはじめ、
御影、
岡本、
芦屋、
西宮の山手に移してゆき高級住宅地帯を形成して、豪華な生活と社交を享受し
阪神間モダニズムと言われる文化を形成した。
谷崎潤一郎の「
細雪」は芦屋に居を移した大阪
船場の旧家である蒔岡家の、優雅にして華麗な生活を描いているが、この蒔岡家の生活は、そのまま阪神財閥の同族の生活であった。