1974年に日本電気取締役、
1980年に社長就任。
小林宏治会長の提唱する「C&C」(Computer & Communication)を継承し、また独自に「2.5次産業」という概念を唱えた。情報通信に力を入れ、
PC-9800シリーズで日本最大のパソコンメーカーに育てた。それまでの消費者に馴染みのない電電ファミリーからパソコンのNECにイメージを一新し、NECのブランドが若者の支持を受けることにもなった。
1994年より会長に就任し、
日本経済団体連合会副会長となる。
1998年には経団連会長候補ととして名前が挙がったものの、会長選挙で
今井敬に敗れる。また、同年に起きた
防衛庁調達における不祥事の責任を取り会長職を辞任、相談役に退く。
2002年には相談役も解任され、財界から引退した。