開帳は、3年、5年、10年、20年、30年、50年、60年などと周期的に行なうことが多い。『
増鏡』に、「滝の本のは不動尊、此不動は伊豆国より生身の明王の簑笠うちてさしあゆみておはしたりき、此簑笠宝蔵にこめて三十三年に一度出さるるとぞ承る」とあるのは、33年に1度不動の開帳が行なわれたことを示し、『
明月記』
嘉禎元年閏6月19日の条に、「禅尼数輩来車し、近日開くべき三尊像を礼す、近日京中道俗騒動礼拝云々、善光寺の仏を写し奉る」とあるのは
善光寺三尊仏模像の開帳が行なわれることであり、『二水記』
永正14年4月11日の条に、「法輪院虚空蔵開帳間為
二参詣
一」(
一、
二は返り点)とあるのは、京都嵐山法輪院の本尊の開帳を述べる。江戸時代になると、開帳は興業的になり、さまざまな作り物を飾り、幟を立て、また境内には
露店、
見世物がならび、きわめて繁華なものであったことは、『
賤の緒手巻』、『
嬉遊笑覧』巻7、『浄瑠璃外題年鑑』などに記されている。一方で、「下手談義」には、開帳について、「開帳場を仕廻ふと否や、本尊を質に入れて、入唐渡天の行がた知れず」などと叱責の言がある。このように仏教界で行われている本来聖なるものである仏像を庶民の無知に付け込み金儲けの手段に利用する「開帳」そのものに対して市井においては庶民は胡散臭さを感じ取り、冷ややかな視線を向け揶揄していた側面も否定できない。
開帳は公開する機会を限定するもしくは被公開の対象を限定することにより、希少性を増すことが出来る。
仏像であれ、公開者によってなされる意図的に希少性を増大させる操作によりその対象の
価値を高めることが可能となる。希少性が増大すればするほど、被公開者にとってはいわゆる「
ありがたい」存在となる(「
希少性」の項を参照)。逆に公開の機会が増えれば増えるほど、希少性は減少し「ありがたみは損なわれる」ことになる(「
限界効用逓減の法則」を参照のこと)。