1981年(
昭和56年)
7月、
日本専売公社副総裁就任。専売公社が
日本たばこ産業 (JT) として株式会社化した時に、初代社長として立ち会い、その後大蔵次官経験者の指定席であった
東京証券取引所理事長に就任する。その後、国際証券取引所連合副議長当時はちょうど松下康雄らの後継次官争いがあった頃であり、自身の志向する人事案の為に日本人初となる議長ポストには立候補をしなかったと云われている。その他、財団法人資本市場研究会理事長、財団法人アフィニス文化財団理事長。東大ボート部淡青会長、銀杏会長、日比谷高校如蘭会長など。因みに、一中先輩の
竹内道雄(元大蔵事務次官)に東大ボート部から大蔵省入りを勧められた。のちに竹内次官 - 長岡官房長ラインを組むこととなり、財務省では
森永貞一郎 -
石野信一 -
谷村裕と引き続いて、さらに竹内以下の大蔵省主計本流OBラインが、省内外での主要な人事面でも関与・機能していることがいわれている。
泉鏡花など文芸や音楽などに造詣が深いことでも知られている。