水銀の使用によって少なくとも6人の
唐の
皇帝が
水銀中毒で死亡しているといわれている。辰砂は鮮やかな赤褐色を示すため、その色が血液につながるという思想があったものと思われる。不老不死を望んでいた
秦の
始皇帝もそれによって死期を早めたという説もある。このため、水銀を直接使用して化学的に仙丹を作るのではなく、人体の気血を原料に呼吸をふいごとし
丹田を炉とみなして自己の内に仙丹を練るという発想が生まれた。前者の方法を外丹、後者の方法を
内丹という。内丹説は遅くとも
隋代には成立し、唐末から
宋代に修行法として盛んになった。特に、
禅宗の見性の考え方を取り入れて性命双修を唱えた
北宋の紫陽真人張伯端の内丹説は、
南宋以降に北宗・南宗などに分かれる後代の金丹道に影響を与えた。
20世紀後半の日本では、台湾人の秦浩人が三峯派の内丹術を日本語で仙道
房中術として紹介した。1970年代後半には、秦浩人の著書を読み台湾の内丹仙学の実践家と接触した
高藤聡一郎が、錬丹法に関する入門書を
大陸書房より発表し、仙道ブームを起こした。また、日本軍の諜報・宣撫活動のため中国で道士となり
恒山で修煉し、第二次大戦終戦直後に当時の
白雲観の観首に口訣を授けられたという田中教夫(五千言坊玄通子)が、日本に帰国後、「仙道連」という修仙の会を開いた
[星文訓 『虹の彼方の神秘家たち』 柏樹社、1990年。]。こうしたことから現代日本では、内丹派の煉丹術を中心とした道教に由来する修行法を、俗に「仙道」と呼ぶことが多い。