621年、唐の李孝恭と
李靖が
巴蜀の兵を率いて
長江を下り、廬江王
李?が
襄陽道を、黔州刺史の田世康が辰州道を出て、蕭銑を攻めた。また周法明が唐に降って黄州総管となり、夏口道を抜け、安州を落とした。雷長潁が魯山で降伏した。蕭銑は文士弘を派遣して李孝恭をはばませたが、
清江口に敗れ、戦艦多数を鹵獲された。宜昌・當陽・枝江・松滋を奪われ、江州で蓋彦挙が唐に降った。李孝恭と李靖が江陵を囲み、蕭銑は各地に救援を求めたが援軍は到着せず、ついに唐の軍門に下った。「死すべき者は銑のみで、百姓に罪はない。殺掠しないでいただきたい」と李孝恭に言った。
長安に護送され、
李淵は彼を責めたが、蕭銑は「隋がその鹿を失い、英雄が競いあった。銑には天命がなかったために、陛下の虜となった。
田横が南面して、
漢に仕えるようなことがあろうか」と答えた。李淵は蕭銑が屈服しないのを怒って長安の市で斬らせた。