字は稚川で、号は抱朴子、葛仙翁とも呼ばれる。
後漢以来の名門の家に生まれたが父が13歳の時になくなると、薪売りなどで生活を立てるようになる。16歳ではじめて『
孝経』『
論語』『
易経』『
詩経』を読み、その他史書や百家の説を広く読み暗誦するよう心がけた。そのころ神仙思想に興味をもつようになったが、それは祖父の兄弟の
葛玄とその弟子の
鄭隠の影響という。鄭隠には弟子入りし、馬迹山中で壇をつくって誓いをたててから『
太清丹経』『
九鼎丹経』『
金液丹経』と経典には書いていない口訣を授けられた。
20歳の時に
張昌の乱で
江南地方が侵略されようとしたため、葛洪は義軍をおこしその功により伏波将軍に任じられた。
襄陽へ行き広州刺史となった?含に仕え、属官として兵を募集するために広州へ赴き何年か滞在した。南海太守だった
鮑?に師事し、その娘と結婚したのもその頃である。鮑?からは主に
尸解法(自分の死体から抜け出して
仙人となる方法)を伝えられたと思われる。