青嵐会が自然消滅の形となっていた
1979年、旧水田派出身の中川が、無派閥の石原慎太郎や長老格の
長谷川四郎(旧椎名派)、
長谷川峻(旧石井派)らと結成。いわゆる
中間派の結集を目指したものの、実質的な中川派議員は10名にも満たず、福田派や中曽根派の若手が重複して参加するなど混成派閥の様相を呈していた。派閥行動としては
福田赳夫の親衛隊として、
40日抗争、
ハプニング解散も福田派と共同歩調をとり反主流を歩む。このため、途中で中川派内の中曽根派議員が離脱するなど、二重在籍者を抱える派閥の脆さも見せる。