島原藩主松平家と親密な関係であった臼杵藩主
稲葉久通は、島原藩主松平家が中心となって函館に設立した
第百四十九国立銀行にも出資。また両家で北海道の物産を扱う楽産商会を設立。この楽産商会は一時は隆盛を誇ったが、
1884年(明治17年)頃には米相場での失敗などで経営が傾いた。楽産商会は、郵船汽船三菱会社から増資資金を借り入れていたが、この借り入れには
第百四十九国立銀行と並んで当行も保証人となっていたことから、両行は経営危機に陥った。三村君平は、金融部門を所有していない三菱の大番頭で臼杵藩士族であった
荘田平五郎に、両行を破綻させた場合、出資している臼杵藩士族が困窮する旨訴え救済を依頼。
第百四十九国立銀行と合併し、その後三菱に順次営業譲渡され、三菱合資会社銀行部を経て、
三菱財閥の中核金融会社である三菱銀行の前身となった。