エリツィン政権側は、
セルゲイ・ステパーシン首相を祖国・全ロシアの代表に送り込むことで内部攪乱を図ったが、工作に失敗し、
8月17日祖国・全ロシアは調整評議会議長(代表)にプリマコフを選出し、同時に
12月19日投票の
ロシア連邦議会下院国家会議選挙でプリマコフを
比例代表名簿一位とすることを決定した。かくしてルシコフら多数の地方政府代表に加え、当時約20%の支持率を誇っていたプリマコフが連合を組んだことにより、祖国・全ロシアは、国民から絶大な支持を受け凋落し始めた共産党に代わり次期下院選挙で第一党となり、翌
2000年の大統領選挙でも祖国・全ロシアの候補者の優位が予想された。
しかし実際には、クレムリンの肝いりで政権与党「統一」が結成され、12月の下院国家会議選挙では、統一の追撃と、国営メディアを利用した
クレムリンによるネガティブ・キャンペーンにより、第三党に甘んじる結果に終わった。プリマコフは大統領選挙に立候補を模索したが、
ウラジーミル・プーチンが国民の絶大な支持を獲得したため、立候補を断念する。一方、ルシコフは、下院選挙後、政権側に接近を図り、
2001年「祖国・全ロシア」から「祖国」を離脱させ、「統一」と合流、新政治ブロック「
統一ロシア」を結成し代表に就任した。