旧石器などの遺物の出土や縄文期、弥生期、古墳期と、各時代にそれぞれ遺跡がある事からも分かるように原始時代の頃より本庄には人々が暮らしていた。
平安時代にこの地域を群雄割拠した
武蔵七党の一つにして最大勢力を有した
児玉党を構成する(かつ党首でもあった)
庄氏本宗家が当地に館を築き、
鎌倉時代に庄氏から派生した
本庄氏がこの地に土着した事が
地名の由来である。15世紀では
五十子の戦いが始まり、本庄氏の
城下町であったが、のちに
小笠原氏の城下町となり、16世紀の終わりには
本庄藩が生ずるも17世紀初期には廃藩となった。中世に武家の領地(城下町)として始まり、
近世では幕府の政策の都合から宿場町として栄え、商人の町として発展し、
戸谷半兵衛と言った豪商も輩出している。18世紀には中山道で最大の宿場町となり、各地から人や物流が集中した。
明治以降は生糸・絹織物の産地として栄え、工場も建てられるようになった。戦後になると石油製品の時代となり、生糸産業自体が時代遅れとなった為、廃れ、地域発展にも取り残され、周辺市域に比べ、時代に乗り遅れた観は否定できず、現在は歴史ある田舎と言う事になる。