旧唐書の中には
日本について「倭国伝」と「日本国伝」の二つが立てられているのも編纂過程の影響であると考えられており、
宋代初頭の『
太平御覧』にもそのまま二つの国である旨が引き継がれてしまっている。ただし、「倭国伝」と「日本国伝」の間の倭国(日本)関連記事の中絶には
白村江の戦い及び
壬申の乱が含まれており、
大庭脩はこれを単なる編纂過程のミスではなく、当時の中国側に壬申の乱をもって「倭国(
天智政権)」が倒されて「日本国(
天武政権)」が成立したという見解が存在しており、結論が出されないままに記述された可能性があると指摘している。また、「東夷伝」には「日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。」ともあり、一般的となっている見解も載せられている。