607年、陳王に封ぜられた。のちに代王に改封された。煬帝が
高句麗遠征に出征すると、
京師(長安・大興城)の総留事をつとめた。
615年、煬帝の晋陽行幸に従い、
太原郡太守に任じられたが、まもなく京師に戻った。
617年11月、唐公
李淵が長安を占拠すると、楊侑は隋の皇帝として擁立され、大興殿で即位した。李淵を尚書令・大丞相に任じ、唐王に封じて国政を任せた。
618年3月に煬帝が
宇文化及に殺害され、5月にその知らせが長安に届くと、楊侑は李淵に帝位を
禅譲し、ここに隋は滅亡した。唐の?国公に封ぜられた。