宋史 wikipedia|無料辞書
『
宋史』(そうし)は、
中国、
元代に編纂された
正史(
二十四史)の一つ。
宋(
北宋・
南宋)を扱った
紀伝体の史書である。
1345年完成。元の
トクト(托克托・脱脱)が編纂した。16本紀47巻、15志162巻、2表32巻、197列伝255巻の計496巻。正史の中で最も膨大である。
◆ 特徴と問題点
『宋史』は他の正史と比較して、きわめて巻数が多く詳しいことが特徴である。
北宋・
南宋併せておよそ三百有余年であるが、ほぼ同年数存続した
唐の正史(『
旧唐書』200巻・『
新唐書』225巻』)に比べるとほぼ倍の巻数を有する。しかしその反面体裁に不備が多く、後世の史家たちの厳しい批判を受けざるを得なかった。これは以下の理由による。
#まず元朝をどの王朝の後継王朝と考えるかで問題となった。元は南宋を滅ぼして北宋以来久しぶりに中国全土を支配した王朝であり、その後継王朝であるという考えが強かった。だが、元朝初期から仕える官僚には、北方王朝である
遼・
金に仕えた者の子孫が多く、自己の先祖の正統性を主張して『
遼史』・『
金史』を正史として編纂すべきだと言う意見や、『
北史』・『
南史』のようにどちらを正統とするかの結論は出さずに2種類の正史を編纂すべきだという意見もあり、更に
モンゴル人高官の中には、そもそも被征服民族である
漢民族の手法に則った正史の編纂そのものが不要であるとする考えもあった。元朝成立以来たびたび『宋史』編纂計画が立てられながらも、この段階においての意見調整の失敗で挫折してしまうことが多かった。
#実際の編纂の指揮を執ったのは
欧陽玄であるが、その編纂期間はわずか3年にすぎず、かつ『遼史』・『金史』と同時並行で編纂が行われたために、史料の取捨選択や編纂者同士の摺り合わせが不十分となった。このため、同一の内容を取り上げているにもかかわらず、記述が相互に一致しないなどの問題点が指摘されている。
#宋代は史料が格段に増えた。まず史学の発展に伴って国史舘が創設され、日々の出来事が詳しく記録されるようになった。次に、個人の伝記や碑文、墓誌、行状といったものが多く作られるようになり、豊富な史料を前にして元代の史家は持て余した観がある。
◇『宋史』の基となったと考えられる主な勅撰史料
・『両朝国史』(前期)…
王旦らによって書かれた
太祖・
太宗2代の歴史書、120巻。更に
呂夷簡・
王曽らによって
真宗期が追加されて、『宋三朝国史』(150巻、紀10巻・志60巻・列伝80巻)に再構成された。
・『両朝国史』(後期)…
王珪らによって書かれた
仁宗・
英宗2代の歴史書、120巻。
・『神宗正史』…
?洵武らによって書かれた
仁宗1代の歴史書、120巻。
・『哲宗正史』…
王孝廸らによって書かれた
哲宗1代の歴史書、210巻。
・『宋四朝国史』…
李壽・
洪邁らによって書かれた仁宗・哲宗・
徽宗・
欽宗4代の歴史書、350巻。
この他に太祖から
理宗まで15代の『
実録』と
度宗1代を扱った史料集『度宗時政記』があり、これに他の歴史資料を組み合わせて編纂されたと考えられている。
◆後世の史家による批判
後世史家の『宋史』への批判は、単に体裁の不備にのみ寄せられたのではなく、イデオロギー的側面もあったことは念頭に置く必要がある。すなわち宋代以降、
朱子学的正統論が喧しくなるが、それは『遼史』・『金史』・『宋史』編纂方針にも向けられた。正統論を唱える者は、『宋史』のみが作られるべきであって、遼や金については外国志のレヴェルで十分という意見であり、三史それぞれ別に作ることに反対を唱えた。だが、前述のように元の宮廷内には遼や金の遺臣もおり、そのような批判が受け入れられることはなかった。また、元に降伏した
恭帝を最後の皇帝として、南方に逃れた人々によって擁立された
端宗・
衛王(帝?)を正式な皇帝と認めず本紀を立てなかったことも、朱子学者たちの激しい反発を呼んだ。
実際に元の支配が終わり、漢民族王朝である
明代に入ると、
柯維騏は『
宋史新編』を著して、遼・金を「外国伝」に編入し、恭帝に従って元に降った高官達を「叛臣伝」に加えている。
◆ 後世の補遺・改訂
『宋史』の不備を補うために、後代いくつも補遺・改訂の試みがなされた。さきに挙げた『宋史新編』の他にも、宋人の伝記に焦点を当てた
陸心源の『
宋史翼』や
陳邦瞻の『
宋史紀事本末』などがある。
◆ 『宋史』における日本
『宋史』では日本は巻四百九十一、列伝第二百五十、外国七において「流求」国の少し後で触れられている。
神武天皇以来の歴代天皇の系譜が述べられ、中には
聖徳太子が年3歳にして10人の言葉を聞き分けられたという逸話も紹介している。また日本が多くの漢籍を蔵していることはこの頃から知られていたようで、「其國多有中國典籍」という記載も見える。記述は南宋
寧宗(趙擴)の
嘉泰二年の記事までで終わっている。
「日本伝」には、
太宗が日本で
天皇家が
万世一系で受け継がれていることを聞いた時の反応を以下のように記述している
[Ryusaku Tsunoda and L.C. Goodrich, ed., Japan in the Chinese Dynastic Histories. Pasadena: P.D. and Ione Perkins, 1951, p.55.]。
◆ 『宋史』構成
◇ 本 紀
| 巻十四〜巻十六 |
本紀第十四〜第十六 |
神宗趙?一〜三 |
| 巻十七〜巻十八 |
本紀第十七〜第十八 |
哲宗趙煦一〜二 |
| 巻十九〜巻二十二 |
本紀第十九〜第二十二 |
徽宗趙佶一〜四 |