建武中元二年(57年)、倭奴国は貢物を奉じて朝賀した。使人は自ら大夫と称した。倭国の極南界なり。光武は印綬を賜った。安帝の永初元年(107年)、倭国王は帥升らに奴隷百六十人を献上させ、朝見を請い願った。
訳文:東南の奴国まで百里ある。そこの長官を?馬觚(じまこ、じばこ)といい、副官は卑奴母離(ひなもり)という。二万余戸がある。
訳文:自女王国より北は、その戸数、道程を簡単に記載し得たが、その余の旁国は遠く険しくて、詳細を得られなかった。次に斯馬国(中略)次に奴國有り 此れ女王の境界の尽くる所なり その南に狗奴國有り