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「大関」||企業-master.com [05/28update]

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大関(おおぜき)は、大相撲の階級。
「大関取」が語源とされ、かつては力士の最高位だったが、現在では横綱に次ぐ地位。一般に「三役(力士)」というと、「大関・関脇小結」を指す。三役の最上位であり、制度上の特権も多く、関脇や小結とは区別して扱われることが多い。そのため三役を「関脇・小結」のみを指すこともある。
東西に最低1名ずつ常設され、空位となる場合には横綱力士が「横綱大関」としてその座を兼ねる。それも適わない時には、関脇や小結から繰上げで昇進をさせることになるが、その様な例は近年に無い(ただ、大関が一人や二人になると昇進基準が甘くなるという傾向はある)。
江戸時代には大関に適した者が居ない時など看板大関といってただ大きくて見栄えがするというだけの理由で名前だけの大関にしたケースが多かった。

◆ 昇進
番付編成会議で大関昇進が決定すると、日本相撲協会から使者が派遣され、横綱とほぼ同様な「昇進伝達式」が行われる。新大関は、翌場所の番付発表を待たずに、この時から大関として扱われることになる。
なお、大関昇進については、横綱昇進における横綱審議委員会の内規のような明文化された基準があるわけではない。マスコミの報道によると、一場所15日・年6場所の現在の体制が定着して以降、「3場所連続で三役にあって、その通算の勝ち星が33勝以上」というところが大関昇進への基準の目安となっているといわれる。しかし、相撲協会はこれを否定している。実際にはこの条件を満たさずに、昇進した大関が数多く存在する。
最近の例では、1999年(平成11年)3月場所新大関・千代大海の直前3場所の成績は、9勝-10勝-13勝(優勝)の合計32勝13敗であった。当時は1994年(平成6年)3月の貴ノ浪武蔵丸を最後に5年間新大関が誕生しておらず、また千秋楽で本割・決定戦と横綱若乃花に連勝して優勝した内容が高く評価されたものと思われる。その前には、1985年(昭和60年)9月場所新大関の大乃国の直前3場所は、9勝-10勝-12勝の合計31勝14敗だったが、それまで関脇の地位を連続6場所維持し、成績も徐々に上回り、また将来性を期待されての昇進であった。さらに遡れば、1966年(昭和41年)9月場所新大関の北の冨士の直前3場所は、8勝-10勝-10勝の合計28勝17敗と、現在なら到底ありえない甘過ぎる成績での昇進だったが、当時大関は豊山一人しかおらず、早く生きの良い大関誕生を願う相撲協会の思惑からでもあった。
しかしその一方で、関脇で優勝しながらも大関昇進を逃した、1972年(昭和47年)3月場所の長谷川のような例もあった。当時、長谷川の直前3場所は8勝-10勝-12勝の合計30勝15敗の成績を挙げ、大関は確実と思われていた。しかし同3月場所中に大関同士(前の山琴櫻)の対戦で、二人の大関に対し無気力相撲の指摘を受けたことなどにより、相撲協会は大関目前の長谷川に対し「もう1場所見てから」と慎重に判断、不運にも昇進は見送られることになった。次の長谷川の5月場所の成績は8勝7敗と勝ち越したが再度見送られ、翌7月場所は5勝10敗と負け越して平幕へ陥落、結局大関の地位を務めることなく引退となってしまった。
ただ、1999年(平成11年)9月場所新大関の出島2000年(平成12年)7月場所新大関の雅山は、二人ともに昇進後、1度も優勝あるいは千秋楽まで優勝争いに絡んでおらず、さらにその後大関から関脇へ陥落したため、大関の安売りと皮肉られたことがあった。それを機に、大関昇進は単なる星数だけではなく、相撲内容も問うこととなった。特にその煽りを食らってしまったのが1度目の大関昇進の機会を逃した琴光喜と、2度目の大関昇進を目指した雅山である。
琴光喜は、2001年(平成13年)9月場所から2002年(平成14年)1月場所までの3場所間、幕内上位の地位で34勝(13勝-9勝-12勝)したが、昇進を見送られた。それは、3場所前が前頭2枚目(13勝2敗で平幕優勝)だったこと、また2場所前が9勝と1桁白星であったこと(平成以降に大関昇進した力士はを除き全て2場所前は10勝以上)、そして当時、大関陣が4人いたことが引っ掛かった。さらには大関取りの場所となった2002年1月場所で、3敗目を喫した内容があまりにも悪かっただけでなく、自分よりも遥かに地位の低い相手(前頭8枚目の武雄山)に敗れたという理由もあったといわれる。その次の場所、2002年(平成14年)3月場所の琴光喜は結局8勝7敗で、また、その場所中に顎を骨折し翌5月場所は全休(公傷が適用されず)、翌7月場所は平幕へ陥落となり大関昇進は一旦、振り出しとなった。それから5年後の2007年(平成19年)になって、琴光喜は3月場所から7月場所にかけて関脇の地位で3場所35勝(10勝-12勝-13勝)を挙げ、数字・内容ともに非の打ち所のない結果を残して、年6場所制以降で史上最年長の新大関昇進をようやく決めた。
雅山は、大関再昇進を目指した2006年(平成18年)7月場所で、3場所合計34勝(10勝-14勝-10勝)を全て三役の地位で挙げた。しかし、「あと1勝欲しかった(平成以降に大関昇進した力士は直前場所で全て11勝以上しており、10勝止まりは印象が悪い)」のと、当時大関が既に5人いた理由等により、昇進を見送られている。また同じくこの7月場所は、大関(当時)白鵬が横綱にしてもおかしくない星をあげたが、「心太(ところてん)方式」(関脇→大関・大関→横綱への地位に押し出されるという意味の例え)に同時昇進とはならなかった。翌9月場所の雅山は勝ち越したが9勝6敗、11月場所は8勝7敗、翌2007年1月場所は5勝10敗と負け越し平幕へ陥落、結局大関復帰はならなかった。

◇大関昇進前3場所成績(平成以降)
・関:関脇、小:小結

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