1954年に
ニチボー貝塚女子バレーボール部監督に就任した。「鬼の大松」
[夫人は、「夫はトレーナー等とも相談し、選手の体調を考えながら指導していた。それをサド呼ばわりされるのはひどい」とこう呼ばれるのを嫌った。(読売新聞のインタビューより)]と呼ばれるほどの徹底したスパルタ式のトレーニングは世間を騒がせるほどであった。
1958年には当時の日本国内の四大タイトル(全日本総合、全日本実業団、
都市対抗、国民体育大会)を独占した。また
1961年のヨーロッパ遠征での全勝により「
東洋の魔女」と呼ばれるほどの成長を遂げさせた。その後、
1962年世界選手権で優勝、
1964年の
東京オリンピックでは、
全日本女子バレーボールチームを「回転レシーブ」に象徴される守備を重視した戦法により金メダルに輝かせる。選手への『おれについてこい!』『なせば成る』(
上杉鷹山の言から引用。)などの名文句からは著書を生み出し、『おれについてこい!』は同タイトルで映画化もされた
[『おれについてこい!』(1965年製作、配給:東宝)]