幽学は、先祖株組合の創設のほかに、農業技術の指導、耕地整理、質素倹約の奨励、博打の禁止など、農民生活のあらゆる面を指導した。「改心楼」という教導所も建設された。
1848年(
嘉永元年)2月に、長部村の領主清水氏は、長部村の復興を賞賛し、領内の村々の模範とすべきことを触れている。
1852年(嘉永5年)、反感を持つ勢力が改心楼へ乱入したことをきっかけに村を越えた農民の行き来を怪しまれ勘定奉行に取り調べられる。
1857年(安政4年)に押込百日と改心楼の棄却、先祖株組合の解散を言い渡される。5年に及ぶ訴訟の疲労と性学を学んだはずの村の荒廃を嘆き、翌年、墓地で切腹して死亡。千葉県
旭市には旧宅(国の
史跡)が残っている。著作に「
微味幽玄考」「
性学趣意」がある。