ローマ水道 wikipedia|無料辞書
ローマ水道(ローマ水路)は、
紀元前312年から3
世紀にかけて
古代ローマで建築された
水道。古代ローマでは、都市や工場地に水を供給するために、数多くの水道が建設された。これらの水道は古代の土木建設でもっとも偉大な業績のひとつであり、古代ローマ滅亡後1000年以上も、これに匹敵するものは作られなかった。現代においても、この
古代の水道は多くの都市で実用に供され、実に2000年以上も水を供給しつづけている。
ローマ人は
帝国内のどのような大都市でも、水道を建設した。中でもローマは最大の都市であり、500年かけて建造された11の水道から水が供給される、最大の水道の集積地であった。
◆ 技術
都市
ローマ内の水道の長さを合わせると350キロメートル(260マイル)になる。しかし地上より上にあるのは47キロ(29マイル)だけで、その他は地下を流れていた。地下に作られることにより、動物の死骸が原因の腐敗を避けることができ、敵の攻撃から守られた。最も長いものは、
2世紀に
カルタゴ(現
チュニジア)に作られたハドリアヌス水道(Aqueduct of Hadrian)で、141キロ(87マイル)の長さがある。
ローマ水道は非常に精巧に作られており、厳密な許容誤差内で建築されていた。通常規格で、1キロあたり34センチの傾斜(1:3000)、50キロメートル(31マイル)の距離で垂直方向にわずか17メートル下がるだけである。完全に重力に頼っており、非常に効率よく大量の水を運んでいた。フランスの
ポン・デュ・ガールでは、1日に2万立方メートル(約600万ガロン相当)、ローマ市に集められた水道では、1日に100万立方メートル(3億ガロン相当)になる。同水準の水道が新たに建設されるのは19世紀後半になってからである。時には50メートル以上のくぼ地を通る個所で、
サイフォンと呼ばれるパイプの圧力を利用して、水を上昇させた。現在の水力技術者も上下水道で、同様の技術を使用している。ほとんど全ての水道で、
水道橋が使用されている。
ローマ水道は高度な建築技術のみならず、偶然の故障や、堆積物の掃除、水に天然に含まれる
炭酸カルシウムの集積物の除去の為に、包括的なメンテナンスシステムを必要とした。
◆ ローマ水道の最後
ローマ帝国の滅亡で、ローマ水道は敵により徐々に破壊されていき、その他の水路もメンテナンス不足により故障していった。水路による水の供給が欠如して、古代では100万人以上を誇った都市ローマの人口は、
中世には激減する。
◆ ローマ水道の一覧
◇ 都市ローマを流れる水道
都市ローマの莫大な人口の需要を満たすため、11本の水道が引かれていた。水道は合計で、少なくとも1日あたり1,127,220立方メートル(約3億ガロン)の供給能力を持っていた。
ネルウァ治世の時代を通して、ローマの
水道管理委員 (curator aquarum)であった
セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスにより、97個所の市内の水道の詳細な統計資料が記録されている。フロンティヌス以降に建設された水道について、より少ない情報が知られている。