1934年
クイビシェフ州に生まれる。クイビシェフ工業大学卒。
1983年ソ連ガス工業省次官。
1986年同省第一次官に就任する。
1989年国家ガスコンツェルン「ガスプロム」の副社長に就任。
1992年同社の社長となる。ガスプロム出身であった
ヴィクトル・チェルノムイルジン首相の後ろ盾もあり、
アナトリー・チュバイスや、
ボリス・ネムツォフらガスプロムの分割を目論む急進改革派とは、対立関係にあった。また、ガスプロムは、ヴャヒレフ社長の時代に納税を滞納したため、税務当局からも目の敵にされ、ヴャヒレフ自身、
エリツィン大統領に召還され、
テレビの前で脱税者とののしられたこともあった。ヴャヒレフは、独立新聞から、「ロシアの50人の企業家」の番付ランキング第一位にノミネートされたこともある。一方で、息子のユーリ・ヴャヒレフがガスプロムの子会社・ガスエクスポルト社長に就任したことや、娘のタチアナ・デジコワがインターガスコンプレクト社の株式18%保有したことなどについて、縁故主義を激しく非難された。
2001年5月に社長を退き、エネルギー産業省の次官だった
アレクセイ・ミレルと交代、会長となる。
2002年会長を辞任。