コジモの死後、メディチ家の当主を継ぐが、反メディチ派が勢力を得て危機を迎える。反メディチ派と結んだ
フェラーラがフィレンツェを攻撃(
1466年)するが、これを撃退し、反メディチ派を追放して、国内体制を固める。1469年に53歳で死去。メディチ家の中にあって政治的影響力はなかったが、
ベノッツォ・ゴッツォリ、
サンドロ・ボッティチェッリを見出すなどの
パトロン活動は活発で、息子のロレンツォのパトロン活動には、大きな影響力を与えている。また豪奢なスクリットイオ(
書斎)をメディチ邸の二階に造らせるなど、
コレクターとしても知られている。