1710年、モルダヴィア公に任命されイスタンブルを離れるが、翌1711年に始まったロシアとオスマン帝国の戦争においてオスマン帝国を裏切り、ロシアの
ピョートル1世に降伏した。しかし、この戦争はピョートルの大敗に終わり(
プルート川の戦い)、モルダヴィアを含めた占領地はオスマン帝国に奪還されてしまったため、カンテミールはロシアに亡命生活を余儀なくされた。カンテミールはロシア貴族の待遇を受けて余生を送り、1723年に
ハリコフで亡くなった。
東洋の歴史と文化に対する造詣も深く、カンテミールの著作の中でももっとも有名なものはラテン語で著され、西欧に紹介された最初の体系的なオスマン帝国にかんする歴史書となった『オスマン帝国の勃興と衰退』である。同書は
1734年に英語、
1743年にフランス語に訳され、西欧に広く紹介された。
オスマン古典音楽の作曲者としても知られ、
アラビア文字を利用した独特の文字楽譜によって350余りの曲を採譜した『文字による音楽の知識の書』をトルコ語(
オスマン語)で著してスルタンに献呈した。彼の考案した文字譜は画期的なものだったがトルコにおいて広まることはなかった。