シュトゥットガルト近郊に生誕。小さい頃から、神学に親しむ。
テュービンゲン大学に進学するも、ここの大学の哲学の教授にひかれることがなかったが、
フリードリッヒ・シュライエルマッヘルの哲学に親しんだ。1830年には
聖職者のアシスタントになり、ついでマウルブロンの中等教育機関で
ヘブライ語と
ラテン語・
歴史の教職の資格を得る。翌年には、シュライエルマッヘルと
ヘーゲル哲学を聞くために、ベルリンへ。しかし、シュトラウスの到着と同じ時期にヘーゲルが死去したため、シュライエルマッハの哲学を聴講することとなる。シュラエルマッハの姿勢が後の『イエスの生涯』にも反映されることとなる。1832年には補助教師として大学の教壇に立つことができ、哲学教師として成功を収めた。そして27歳にして、センセーションを起こした大著『イエスの生涯』を著す。神学者などの批評の中には、これはいわば
ユダの裏切りのような、我々にとって一番有害な本だとという酷評もあったように、シュトラウスはこの著でキリスト教的な歴史主義を批判し、ヘーゲルの歴史哲学を発展させ、福音書の中における奇跡を否定し、これを「神話」として捉えてその史実性を否定し、また神人キリストをイエスという個人よってではなく、人類全体によって実現することによって、真のキリスト教のあり方を理解できると説いた。その後、この著に対する批判を応えるためにいくつかの答弁書を出し、神学者たちの不満を一応は抑えた。そして、2年後に『キリスト教の教説』を記した後、20年間神学の論壇からは離れる。生涯において『イエスの生涯』に対する批判のため、大学の教職に就くことはできず、
著述家として過ごすに留まった。