ガリバルディは、
1848年の一連の革命騒動を聞きつけてイタリアへと帰国した。革命はイタリアにも波及し、マッツィーニの指導によって「
ローマ共和国」が成立した。
ナポレオン3世はこれを倒すために軍を送り、これに対抗するためガリバルディはローマ防衛の責任者となった。
テヴェレ川西岸のヴァチカンの南で起こった
ジャニコロ丘の戦いで寄せ集めのローマ軍3万でフランス軍を撃退した彼は一気に指揮官として名を上げた。しかしこの勝利の後もフランス軍の包囲は続き、
1849年6月30日には街は陥落した。オーストリアの官憲に狙われ、北へ逃亡することを余儀なくされ残る共和国
ヴェネツィアへと向かった。退却の途中、彼の同朋は逃亡、戦死、あるいは敵に捕まり、ついに
ラヴェンナの近くで妻のアニータも戦死した。ちなみに彼女は「イタリアのアマゾネス」と呼ばれた女傑で、常に夫と共に前線で戦った。