首相就任後のドルフースは
世界恐慌によって引き起こされた問題に取り組むこととなった。しかしながら議会に於いて彼は多数派とはなり得なかった。デフレの政策は支持されず、議会に於いてキリスト教社会党と対峙する2大政党の一つ
オーストリア社会民主党との対立は深まった。ドルフースは
1933年3月に議会を停止し法令によって管理した。彼には更にオーストリアで民主主義を保留する別の理由があった -
ナチスである。
アドルフ・ヒトラーが今や
ドイツの首相となり、将来のオーストリアの選挙でオーストリア・ナチスが議会の多数を占め、オーストリアが国家として存続できなくなる恐れがあった。この頃
イタリアの
ムッソリーニはナチス及びヒトラーに対して好意を抱いておらず、同じ
カトリックの
保守的価値観を持つ盟友としてドルフースを強く支持した。ドルフースは6月にナチスの活動を禁止し、翌年2月には社会民主党の活動を禁止した。これに反発する社会民主党は武装蜂起を試みたが、直ちに鎮圧された(「1934年の内乱」又は「2月事件」、「2月内乱」という)。