エチオピアの首都郊外のモウト(Mout)で生まれ、
ハイレ・セラシエ皇帝の親衛隊の一員(階級は
軍曹)になった。当時
キリスト教コプト派(エチオピア正教会)はエチオピアの
国教で両親も信者であった。
1960年の
ローマオリンピックにエチオピア代表として参加した。偶然に靴が壊れたため(さらに現地で新しい靴を買おうと思ったが自分に合うものがなかったため)裸足で参加したアベベは、当時の世界最高記録の2時間15分16.2秒で優勝した。
1937年から
1941年まで
イタリアに侵略、占領されていたエチオピア国民は、アベベの優勝に熱狂し、アベベはエチオピアの英雄となった。また、マスコミには
裸足の王者と呼ばれた。このレース前にはアベベは全く無名の選手で、ゴールの
コンスタンティヌス凱旋門に入ってきたとき各国の報道関係者も「あれは誰だ」と騒然となった。この快挙を可能にしたのは、
スウェーデンから招かれたコーチのニスカネンが指導した
高地トレーニングであった。(国土に高原地帯が広がるエチオピアでは国内で高地トレーニングができた)アベベの成功は高地トレーニングが広く取り入れられるきっかけとなった。
4年後の
東京オリンピックでは、競技の6週間前に
盲腸の手術を受けたため、十分な練習期間を取ることは出来なかった。しかし、アベベは、再び2時間12分11.2秒の世界最高記録で金メダルを獲得した。近代オリンピック史上、マラソンの連覇は初めての快挙であった。それ以後、オリンピックで世界最高記録を樹立したランナーは出現していない。アベベは東京オリンピック以外では、
1961年6月に
大阪で行われた毎日マラソン(
びわ湖毎日マラソンの前身)出場のために来日しているが、この時はコースに入ってきた大群衆や対向車線の車、オートバイ、それに気温27度・湿度77%という悪条件が重なり、レース中に立ち往生するというアクシデントもあって、優勝はしたもののタイムは2時間29分27秒と平凡だった。
なお、このレースの際もアベベは裸足で走ることを主張したが、表敬訪問した鬼塚株式会社社長
鬼塚喜八郎が「日本の道路はガラス片などが落ちていて危ない。軽いシューズを提供するから履いてくれ」と説得したことにより、アベベは
オニツカ製のシューズを履いて参加、優勝した。鬼塚はその後もアベベのもとにシューズを贈り続けていたが、当時は特定のスポーツ用品メーカーとの専属契約という概念がなく、東京オリンピックの際には
プーマのシューズで参加し、鬼塚を苦笑させている。