軍事面ではこのように成功と失敗があったが、内政では大きな成功を収めた。神聖ローマ帝国と敗れて講和した後は西欧諸国との関係修復に当たって平和を作る一方で、名宰相と呼ばれた
イブラヒム・パシャの補佐を受けて西欧諸国の文化を積極的に取り入れ、帝国の繁栄を作り出した。しかし、西欧諸国と講和条約を結んで平和を作り出した一方で、東方の
サファヴィー朝ペルシア帝国との戦いが長期間・泥沼化してしまい、財政の悪化を招いた。しかも、このような中で
イェニチェリの反乱が起こって、1730年には甥の
マフムト1世に廃されて皇位を奪われた。以後は幽閉生活を送り、1736年に失意のうちに死去。。